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夢の超特急「モデル線」始動 貴重映像を”詳しい人”が徹底解説(1962年)【映像記録 news archive】

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ANNnewsCH

1964年の東海道新幹線の開業に向け、試験走行などを行う「モデル線区」での建設がすすみ、試験車両での走行が始まりました。

当時の映像を、シリーズで公開。

さらに、後半パートでは、当時の映像を「詳しい人」が独自の視点で徹底解剖します。



1962年3月15日午前、2年半後の東海道新幹線の開業に向け、試験走行や運転士の訓練を行う「モデル線区」の起工式が行われました。

国鉄の十河信二総裁がスコップで敷き地にくわ入れします。
続いて、新幹線の線路を大型の保線重機で突き固め、工事の無事安全を祈願しました。

神奈川県の小田原綾瀬間を結ぶ32kmの試験線です。
酒匂川を跨ぐ鉄橋はまだつながっていません。



翌月、4月の深夜、
東京・江東区の路上です。新幹線が見えます。
完成した新幹線の試験用車両を大型トレーラーに乗せ、工場から神奈川の「モデル線区」に運ぶのです。

慎重に固定された新幹線が、トレーラーヘッドにつながれます。

係員に付き添われ、そろり、そろりと、道路を移動し始めた新幹線。
普通の乗用車にどんどん抜かれていきます。

モデル線区の西の端、従来の東海道線が走る橋梁の北側に建設された、新幹線用の「酒匂川鉄橋」がまもなく完成します。

鉄の骨組みのあちこちで、職人たちが手作業を続けています。
ボルトが1本1本手で締められています。

1960年に着工した酒匂川鉄橋は、予定より工期が遅れ、完成する前にモデル線区の一部で、すでに走行試験が始まっていました。



酒匂川の東側、鴨宮大磯間の12kmで、新幹線がいよいよ試運転にこぎつけました。

車両に乗り込んだ十河総裁が、運転席の窓から顔を出して手を振ります。

着工からおよそ3年、“夢の超特急”が動きだしました。

速度計は250kmまで測れます。総裁は運転席から視察です。

窓の外にも、新幹線の通過を待っている人たちがいました。

ゆっくりしたスピードで、4両編成の試験車両がすすみます。
技術的なテストと、乗務員の教育のほかに、モデル線区での運行は、広報の役割も担っていました。

座席から手を振る十河総裁の目にも、懸命にハンカチを振って見送る園児たちの姿が見えたでしょうか。



詳しい人テレビ朝日 外報部デスク 荒木基

◆鴨宮モデル線
小田原の近くにつくられた新幹線の試験線

◆起工式の様子
コンクリート製の枕木の横の砂利を安定させる機械で砂利を入れている。

◆試験線が本線に
いまも東海道新幹線の一部分として使用されている。

◆試験車両の1000形A編成
当時、0系電車とは違う、A編成とB編成のふたつの試験車両を国鉄がつくった
A編成の特徴である先頭の部分には蛍光灯が仕込まれぼんやりと光る、貴重映像。
昔のおもちゃでこの試験車両と同じ先頭が光るタイプが出回っていた。

◆試験車両を道路で陸送する様子
台車にタイヤを取り付け試験線に運ぶ。
車両の後ろ側の映像は貴重。

◆試験車両のドアの構造
車体とぴったりくっついているような、0系電車とは違う構造で、プラグドアと呼ばれる。
ドアが開くときは外側に扉が飛び出してきて、閉まると車体とすき間なくピタッと閉まる構造をしている。
この構造が空力、風の抵抗を抑えている車両となっている。

◆車体横の表示窓
列車番号、編成の番号をここに表示している、試験車両にはついているが0系電車にはない独特の設備。
これも昔のおもちゃに再現されている。
前面のライトのサイズも0系電車に比べて小さくなっているのがよくわかる。

◆国鉄153系電車
急行列車として使われていて、新幹線ができる前、在来線で東京大阪間を走っていた。
当時は別にもう一本、特急電車が走っていた状況だった。
急行列車は最近まで走っていたが、車内はリクライニングもしないボックス席で、7、8時間かけて東京大阪間をつないでいた時代。
この在来線の横に新幹線の線路が作られている。

◆新幹線の線路幅
改良前の国鉄では1067mmであった狭軌が、新幹線では1435mmという標準軌を採用した。
電圧も新しい方式を採用、車両も気密構造が使われるようになった。
鴨宮モデル線区ではこのような新しい線路や信号など、新しいシステムを導入して繰り返しテストをおこなっていた。

◆酒匂川鉄橋建設の様子
職人がボルト一本一本つないでいく作業であった。
この橋は現在でも使われている。

◆B編成、4両編成の試験車両
A編成と同様、ぼんやりと先頭部分が光っていて、ライトは小さめ。
0系電車に近い。
気密構造となっていて、室内の空気が外に漏れないように、気圧の影響を受けないように設計されている。
窓の6角形の形状は、気密構造による影響を研究・試験していて、最終的には採用されなかったもの。
ほかにも座席やドアなど研究を重ね車体に活かしている。

◆座席
リクライニングしない固定式となっている。
この座席は実際の0系車両には採用されなかった。
3列席というのは国鉄では当時珍しかった。
車内で喫煙している様子がみられる。
[テレ朝] https://news.tvasahi.co.jp

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posted by Werksarzts0