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東京大学 日本史 1994年度 第1問 倭の五王の冊封と「日出処の天子」の国書 外交を規定した内政事情について

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yano shujiro「28号」

1994年度 第問

次の史料を読み、下記の設問に答えよ。

(1) 興死して弟武立つ。略順帝の昇明二年478年、使を遣して上表して曰く、封国は偏遠にして藩を外に作す。昔より祖彌父祖、または祖父の彌〔珍〕か躬ら甲冑を〓[つらぬ]き、山川を跋渉して寧処に遑あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平らぐること九十五国。略臣武、下愚なりといへども、忝なくも先緒を胤ぎ、統ぶる所を駆率して、天極皇帝のことに帰崇し、道百済を遙て船舫を装治す。略詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王に除す。         『宋書』倭国伝、原漢文

(2) 大業三年607年、其王多利思比孤、使を遣して朝貢す。使者曰く、聞く、海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと。故に遣して朝拝せしめ、兼ねて沙門僧侶数十人をして、来って仏法を学ばしむと。其の国書に曰く、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや、云云」と。帝煬帝、之を覧て悦ばず。鴻臚卿外交を司る官に謂ひて曰く、「蛮夷の書、無礼なる有らば、復た以て聞する勿れ」と。            『隋書』倭国伝、原漢文

設問

 史料(1)と史料(2)の間では、倭国の王の中国皇帝に対する対し方はどのように変化しているか。行以内で述べよ。

 設問の変化をもたらした歴史的な背景を、国内・国際両面について行以内で述べよ。



外交についての解説の初回で説明したように、近代以前の極東アジアの外交文化は中国を中心とした同心円構造の垂直的序列関係を形成することが基本的な仕組みである。従って「対等な関係」という関係性は有り得ない。
この問題は設問が「ヒント」なのであり、そこで「隋と対等の立場を表明した」と書き、その「対等」の意味が、朝鮮半島への宗主権を黙認されること、以外の意味を持っている場合には、「この答案は間違いだな」と、を読む前に、採点者が判断できる仕組みになっている。
だからが簡単に見えるという人は、よほどできる人か、その真逆ということになる。

簡単な問題なのだが、外交秩序の基本原理が分かっていない人は、平然と間違えた答案を提出して気が付きもしないのである。

posted by ixarmychicxiw6