参考文献
堀江登志実『岡崎藩 (シリーズ藩物語)』
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郡義武『桑名藩 (シリーズ藩物語) 』
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霞会館華族家系大成編輯委員会 『平成新修 旧華族家系大成』
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本多家は、息子の忠政の代には一族で30万石を領し姫路を任されるなど忠勝死後も繁栄していましたが、幼少の当主を禁じる忠勝の遺言によって相続が複雑化していき、ついには御家騒動が起きました。
挙句の果てには宗家が無嗣断絶となり、忠勝以来の名門として領地を1/3に減らされて存続が認められるも、相次ぐ移封や当主の早死ににより財政は逼迫していき、財政再建に取り組むこととなりました。
本多家は徳川家創業の地である三河岡崎に封じられるも、水害に悩まされる中、岡崎からの転封を幕府に嘆願する始末でしたが、幕末の動乱期には老中として幕政を主導するなど最後まで徳川家に尽くしています。
今回は、相次ぐ御家騒動で当初の栄光は失われていったものの、徳川家への忠義だけは守り通した本多忠勝の子孫のその後について紹介します
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