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昭和のSLダイジェスト版【重連編】

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toshi tan

昭和40年代、SLブームの中、全国で活躍していた現役最後の蒸気機関車の記録から、重連運転で活躍するSLをダイジェスト版にしてお届けします。

① 函館本線  小沢⇒倶知安峠 C6216+C62重連 急行「ニセコ1号」

昭和40年代、小樽から長万部間の函館本線山線140kmには、途中、オタモイ、稲穂、倶知安、上目名の峠には20%の連続勾配があり、C62が重連で牽引する急行「ニセコ」はSLファンの憧れの的でした。
ここでは小沢駅から倶知安峠をめざすC62重連で牽引する急行「ニセコ1号」を撮影しました。

② 函館本線  熱郛⇒上目名 C6216+C62重連 急行「ニセコ3号」

函館本線の山線、小樽から長万部間にはC62が重連で牽引する急行「ニセコ」が1日1往復運転していました。
ここでは長万部から小樽に向かう下りの「ニセコ3号」を、熱郛上目名間の有名な大カーブがある145キロ地点で撮影しました。
この撮影地に行くには上目名駅でトンネル通行許可を頂き、二つのトンネルを超えた場所にありました。
夕暮れの峠に向けジェット音を響かせ猛烈な勢いで駆け上がってきます。

③  舞鶴線  西舞鶴⇒東舞鶴 C12+C58重連牽引 937旅客列車

舞鶴市の市街地は西舞鶴で、軍港として栄えた東舞鶴間6.9Km間には、標高 325mの五老岳が街を二分し、かつては舞鶴市、東舞鶴市と、別の市でした。
この舞鶴線西舞鶴と東舞鶴間には白鳥峠があり、両方向から25‰の勾配が続き、C12やC58が前補機、後補機などの、重連運転を行っていました。

④ 山陽本線  神戸駅 C575+C5739重連牽引 臨時列車「白鷺号」

昭和46年6月、東海道線京都駅から、山陽本線姫路駅まで130.7kmに、C575とC5739の重連で、旧型客車を牽引する臨時列車「白鷺号」が運転されました。
運転日によっては、C57の調子が悪く、C57+EF58重連運転もありました。
この両幹線は、戦前から電化され、昭和30年代までは、SLによる貨物運転もありましたが、その後は本線上でSLを見る機会は無く、久しぶりのSL運転となりました。
最初の映像に出てくる神戸駅は、東海道本線の終着駅で、また山陽本線の始発駅で、とても重要な駅として発展してきました。
その神戸駅に、C57が重連で旧型客車を牽引して、臨客が走ると言う事で、駅のホームは大変な事になっています。
撮り鉄が、ホームから降りて撮影しています。今ではあり得ない光景です。

⑤ 山陽本線  兵庫駅⇒新長田駅 C575+C5739重連牽引 臨時列車「白鷺号」

C575+C5739牽引 臨客「白鷺号」は、旧型客車オハ35を堂々12両編成で神戸駅を発車、山陽本線を一路、姫路に向け快走します。
当時は、東海道・山陽本線の京都西明石間は複々線で、内側の電車線を、快速や普通電車が、外側の列車線を優等列車や貨物列車の種目別運用がされていました。
山陽本線の新長田駅から西明石駅間は、線路の配線が、電車線と列車線が複線となり、列車種目別に走行しています。
併走する普通電車にはまだ吊り掛けモーターの旧型車両が活躍していた時代です。
兵庫駅を通過後、新長田駅の下をアンダークロスして、鷹取駅に向かいます。
列車線外側の線路は、兵庫駅から和田岬線に繋がっていて、途中には、新幹線やブルートレインをはじめ、当時の鉄道最新車両の製造する、川崎重工兵庫工場があります。
反対側は鷹取駅の側にあります、国鉄鷹取工場に繋がっています。
この新長田駅周辺は、阪神淡路大震災で、大変な被害を受けた地域です。
ここでは震災前の風景を見ることが出来ます。

⑥  播但線  野里⇒京口 C57137+C57重連牽引 通勤列車

播但線は山陽本線姫路駅と、山陰本線和田山駅の間、65.7Kmの結ぶ重要な陰陽連絡路線です。
平成10年に姫路から寺前まで電化されましたが、昭和47年まではC57とC11が活躍していました。
姫路口側は沿線人口も多く、特に朝の通勤時は大勢の乗客で、電化以前は長い編成の旧型客車を牽くSLやDLが活躍していました。
ここでは、朝の通勤時間帯、和田山から姫路までやってくる通勤列車は、回送のC57が重連になって運用されていました。

⑦ 伯備線  布原信号所 キハ17型気動車 下り普通列車 & D51746+D51+D51三重連 鉱石専用貨物列車 

伯備線のSLと言えば、布原信号所のD51三重連が全国的にも有名です。
有名になったきっかけは、NHKの全国ニュースで放送され、今日のSLブームのきっかけになりました。
このD51三重連となる2492列車は、伯備線の足立駅に隣接する足立石灰工業から、兵庫県姫路市の飾磨港に石灰石を輸送する、鉱石専用貨物列車でした。
本来は2492列車は、重連で牽引するのでしたが、下り465列車に、新見から生山まで後補機仕業のD51が、生山から足立まで単機回送され、足立から新見までは、D51三重連の先頭編成に付きました。
但し、465列車の後補機仕業が運休の時は、2492列車のD51三重連は重連運用になりました。
D51三重連の撮影を目指す撮り鉄ファンの多くは、岡山を早朝5時出発する普通列車で、布原信号所を目指します。
到着後は、お立ち台ポイントになっています西川橋梁に向かい、カメラの三脚を立てて列車の到着を待ちます。
撮影地ポイントの山肌には、毎日500名ほどの撮り鉄ファンが三脚を乱立させました。
最初に新見方面から、下り普通列車のキハ17型気動車が布原信号所に到着。
ほぼ同時刻に、足立駅からの2492列車のD51三重連到着。
この布原信号所で交換をして、定刻に汽笛三声を山々に響かせ、西川橋梁に突進してきます。
D51三重連が布原信号所から発車して、約2分間のドラマですが、SLの魅力を肌で感じられる一瞬でした。

⑧ 伯備線  布原信号所⇒新見駅 D51重連牽引 上り貨物列車

D51三重連の2492列車が布原信号所を発車後、次にやって来るのがD51重連の上り貨物列車です。
伯備線は、勾配区間が多く、急勾配区間のD51牽引定数は330tで、それ以上の重量貨物列車には、前部又は後部に補機が付きました。
備中神代駅から勾配を降りてきたD51重連貨物列車は、布原信号所での交換停車も無く、勢いを付けて西川橋梁を渡り隧道に入ります。

⑨  伯備線  生山駅⇒上石見駅 D51665+D51重連牽引 上り貨物列車

山陽地方と山陰地方を結ぶ伯備線は、陰陽連絡路線の一つです。
途中、鳥取県と岡山県の県境に中国山地があり、伯備線は上石見駅と新郷駅間の谷田(たんだだわ)峠にある、谷田トンネルが県境です。
峠の標高は約500mで、岡山県側の高梁川水系と、鳥取県側の日野川水系の分水嶺にもなっています。
鳥取県側の生山駅から、谷田峠までの約10Kmには、連続25‰の上り勾配あり、牽引定数が多い貨物列車には補機が付きます。
米子貨物駅を出発したD51牽引、上り貨物列車は、生山駅で本務機の前にD51の前補機を連結。
この先、谷田峠までの10Kmを、時速25Km30Kmで驀進します。

⑩ 筑豊本線  筑前内野駅⇒冷水峠 D60D60重連 下り貨物列車

筑豊本線の筑前内野駅筑前山家駅間10.2Kmには冷水峠があり、峠には延長3,286mの冷水トンネルがあります。
またこの区間には、R200300の急カーブや、最大25‰の急勾配が連続、SL牽引時代には補機付運用もありました。
この筑豊本線に並行する国道200号線も、この先の冷水峠では、急カーブと急勾配の連続で、峠を越えるのには大変でした。
現在ではバイパスの冷水道路が出来、峠をトンネルで越えれるようになりました。
この国道200号線は、直方、飯塚方面から、久留米、鳥栖方面に短距離で行き来でき、50年前の撮影当時も多くの車が走っていました。
午後の下り貨物列車は重連での運用で、この日もD60が重連で峠を目指してきました。
この撮影地は、筑前内野駅から約2Kmで、冷水峠の有名な撮影地ポイントになっています。

⑪ 油須原駅 39639+9600重連 石灰石専用列車

田川線油須原駅は、行橋駅と後藤寺駅の中間に位置し、油須原駅は勾配の頂上にあります。
駅を境に両方向に撮影とポイントがあり、撮り鉄ファンのメッカにもなっていました。
油須原駅は、明治28年に豊洲鉄道の駅として開業。
明治34年には九州鉄道に合併、明治40年には国鉄の駅になりました。
駅には、国鉄時代の内照式駅名電気掲示板が現役で活躍、柱の駅名表は楷書で描かれていて、昭和の名残がする駅です。
この油須原駅は、開業以来の木造駅舎が現役のまま残っり、映画「東京タワーオカンとボクと時々オトン」や、「金田一京助」などの撮影にも使われています。
ここでは、後藤寺から勾配を登ってきた、9600重連の石灰石専用列車が、甲高い汽笛二声を轟かせ、苅田港に向かいます。

⑫ 田川線  崎山駅⇒油須原駅 9600+9600重連 石灰石専用列車

次は、田川線の崎山駅油須原駅間を、後藤寺駅に向かう、9600重連下り回送専用列車です。
この下り重連運用は昭和47年ごろまでありました。
田川線は油須原駅をサミットに、両方向から緩い勾配が続きます。
油須原駅より内田信号所よりにも、有名な撮影地ポイントがありましたが、崎山駅側もカーブや鉄橋もあり、絵になる風景でした。
この撮影地は、油須原駅から徒歩2.5Kmで、県道34号線から撮影しています。
側を車やバイクが通過するので、時折、車やバイクの騒音が収録されています。
ご了承ください。

⑬  田川線  崎山駅⇒油須原駅 29602+9600重連 石灰石専用列車

田川線の崎山油須原間には、九州最古の石坂トンネルもありましたが、線路に並行して流れる今川にも、人気のある橋梁がありました。
油須原駅より約1Km、崎山方面に進むと、美しいプラットトラス桁の、第4今川橋梁があります。
現在は、この橋を越えたところに「源じいの森駅」が施設されました。
すぐ側に、ふるさとセンター「源じいの森温泉」が出来、そちらへのアクセスとして駅が出来ました。
こちらの映像も、後藤寺駅に回送される、下り専用貨物列車を、9600重連で牽引しています。
撮影時には気が付かなかったのですが、鉄橋右端に撮り鉄の方が居たのです。
当時は、まだ田川線を訪れる撮り鉄ファンは、少なかったのですが、画面を拡大して、初めて気が付きました。

⑭ 田川線  内田信号所⇒油須原駅 前補機9600+次位9600後9600補機付 変則三重連 石灰石1000t専用列車

田川線は平成元年まで、後藤寺からの石灰石輸送で、重要な路線でした。
香春岳で採掘された良質の石灰石は、セメントの原料として、工場へコンベアで運ばれ、仕分けされた後、旧日本セメント香春工場から、専用線で後藤寺駅に運ばれ、田川線経由で苅田港へ運搬されていました。
昭和年後半、日本は高度成長期に入り、道路建設やビル建設増大に伴い、セメントの需要が増え、石灰石の採掘が増産されました。
多い時期は一日に3000t近くになり、その石灰石を田川線経由で苅田港へと、日田英彦山線を経由して門司埠頭駅へ、鉄道輸送されていました。
特に輸送量の多い田川線には、10.0‰の上り勾配があり、貨車の牽引定数に限界もあり、輸送力のネックになっていました。
そこで、石灰石専用貨車総重量1000tの輸送をする為、午後の専用列車は前部を9600が重連で、後部に9600の後補機が付く、変則三重連の運用が始まりました。
石灰石を満載したホッパーの超大編成を、三台の9600が牽引する姿は、これぞ本物の蒸気機関車の魅力です。
撮影時は、前二両の9600の足並みがそろわないのか、激しくブラスト音が二重奏になり、周りの山々にこだましていました。
後補機の9600は、油須原駅で解放され、単機で後藤寺駅に戻っていきます。

posted by antenasai